22.0.25奥飛騨温泉郷と土石流(岐阜県高山市)

めがね使用
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鈴木隆介著『建設技術者のための地形図読図入門』(古今書院)第4巻p1224。第22章図22.0.25沖積錐の有無と土石流災害(2.5万図「笹ヶ岳」「焼岳」より)

岐阜県北東部。この地図中心の7km北東に新穂高温泉(ロープウェイ駅)があり,そこから流れてくる蒲田川は,この地図内で南東から流れてくる高原川に合 流する(高原川はやがて神通川となる)。図の下部中央にある「栃尾は沖積錐に立地し,1979年8月に洞谷から流下した土石流で甚大な被害を受けた。現在 では砂防工事が稠密に施工されている。沖積錐は小糸谷,A,C,D,GおよびH谷の谷口にも発達する」。B谷に沖積錐がないのは,蒲田川の側刻による(攻 撃部であることに注意)。またF谷は,上流域に山腹小起伏面が残存し,崩壊地と露岩がほとんどないので土石流が発生せず,沖積錐がない(谷口直上流の滝が 局地的侵蝕基準面)。その反対に「小糸谷,洞谷およびH谷は下刻が著しく,流域に山腹小起伏面がほとんど発達せず,露岩が多いので,土石流が多発し,鎌田 川の直走部に位置するので相対的に大きな沖積錐を伴う」。「今見の集落はH谷の沖積錐を避けて,相対的に安全なG谷の沖積錐に立地している。また小糸谷で は土石流が頻発するので,沖積錐に集落がない」。では1979年に被災した「栃尾」はなぜ土石流通過地点に立地していたのだろう。大きな土石流災害が数百 年に一度程度で,しかも予見不可能なら,洪水の心配の少ない沖積錐に住んでしまうだろうということか。本文はさらに詳しく解説しているので,ぜひ参照され たし。

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