13.2.11 中津川(神奈川)の河川争奪【神奈川県:相模原市】

めがね使用
13-2-11-3D図
鈴木隆介著『建設技術者のための地形図読図入門』(古今書院)第3巻p739。第13章図13.2.11河川争奪および断層変位による転向異常(2.5万図「青野原」より)

丹沢山地の北東部。本文掲載図は昭和49年発行のもので、宮ヶ瀬ダムができる前の話である。下に掲げた段彩地形図も参照しながら、中津川が深い渓谷となっ ていた当時を想像して読んでいただきたい。以下引用。「図の北部では、道場から北東に流れる河川(串川という)ぞいに、その流路幅に比べて不釣り合いに幅 広い谷底堆積地および河成堆積段丘(標高337の島状丘に注意)が発達する。図の南西部から北東に流れる早戸川は、落合で南東に急転向し、中津川に合流す る。その転向点の北西には、道場の南東(道路ぞい)に串川の谷底低地に続く平坦な風隙がある。よって、串川はかつては早戸川の下流であったが、中津川の支 流に争奪された被奪河川である」

13-2-11-広域段彩図
さらに続けて「中津川も、宮ヶ瀬から北東に流れて、前落合から急転向 し、横谷を形成して北東に流下する。この転向異常は、広範囲の読図によると、左横ずれ活断層による変位の結果である。つまり、中津川が断層で切断・変位さ れる前には、横根が強が瀬の位置にあったと解される」とあるので、”広範囲”の段彩図を示した。ダム湖のせいで中津川の断層による転向異常は読みとりにく くなってはいるが、雰囲気は多少わかるのではないだろうか。
なお宮ヶ瀬ダムは、1971年着工、2000年竣工で、堤高156m、湛水面積はさほど大きくないが貯水量は奥多摩湖や奥利根湖に匹敵するという。中津川 は深い渓流だったからむべなるかな。また掲載図にある落合をはじめとした集落でダム建設により300戸が水没したとある。
総目次へ戻る          次の番号の図へ