13.1.23 豊岡川付近の接頭直線谷【岡山県:吉備中央町】


めがね使用13-1-23-3D図」
鈴木隆介著『建設技術者のための地形図読図入門』第3巻p710〜711。第13章図13.1.23ab接頭直線谷と穿入蛇行谷(2.5万図「下加茂」より)

岡山市の北北西30km付近。児島湾にそそぐ旭川の支流豊岡川は、図北西端から南下して図の中ほど左端に近い井原で北東へ向きを変え、図の北東端のすぐ北 で旭川に合流する。豊岡川は南下して井原東までは穿入生育蛇行、北東へ向きを変えて舟堀下までは狭い谷底低地を小さな振幅で自由蛇行(本文では穿入蛇行と しているが地図ではそうは認められない)、真地から下流でふたたび穿入蛇行している。舟掘上の標高点242の島状丘は貫通丘陵。本文に詳しい説明がない が、左図で豊岡上の注記のある支流はもともとは舟堀上で豊岡川と合流していた、それが(本流支流どちらともいえず)蛇行の攻撃斜面への側方侵蝕で横部付近 で分水嶺が切断されここで両者がつながり、島状丘ができた、そのご豊岡川の堆積作用で谷底低地が埋められた(幅が広がった)際に、支流はふたたび舟掘上で 本流と合流するようになった、というのが鈴木氏の描くストーリーのようである。本文説明を読む前に、自分でもこの貫通丘陵のできる過程を想像してみた。豊 岡上の注記のある支流がかつては南の横部へ抜けていたが、豊岡川がその合流点のはるか下流の舟堀上で大きく西へ蛇行して支流を争奪し、支流は東へ流れるよ うになった、というのはどうだろう。ただしこのような場合は貫通丘陵といわないのか・・・・。鈴木氏は、井原〜舟堀間の谷底低地は井原西にも広がり、舟堀 上で合流する例の支流の谷にも「入り組んで」(入り込んで?)いるので、谷底堆積低地(堆積物が厚い?)であろうとして、自説の根拠をあげておられる。私 のほうは頭の中の想像でしかない。でもそれで真偽が決着するわけではない。実態はどうだったのだろうか。

13-1-23-広域図
ここでの主題は貫通丘陵ではない。接頭直線谷である。接頭直線谷とは、 複数の直線谷が(鞍部や谷中分水界をはさんで)谷頭を接し、一直線状になっているものをいい、鈴木氏の造語らしい。左上3D図に明らかのように、豊岡川の 北東方向の流れにほぼ並行してその南東にみごとな直線谷が存在する。一帯は隆起準平原で、接頭直線谷や豊岡川の直線区間は断層破砕帯に沿う差別侵蝕谷とし てすでに準平原時代に直線谷となっており、回春にともなって再び深くなった谷であろうという。本文挿図でいつものように「がけ(岩)」と「がけ(土)」の 分布から、基盤岩が硬岩で、前輪廻地形にはその風化岩が厚く存在するだろうとも述べている。なお左図はより広い範囲で直線谷が(北東-南西方向だけではな く)発達していることを示す。カシミール3Dで描いた10mごとの等高線図である。谷が浮き彫りにされて見やすくなっていると思う。
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